杉並区議会議員(無所属) 堀部やすし最前線 No.38


政治にカネがかかるって、何にかかっているの?
(政治とカネ/シリーズその2)


 日本は、政治不信が激しく、個人献金やカンパをする人の少ない国だといわれています。それが、企業・団体献金を温存させる理由とされてきました(先週指摘したように、政党への企業・団体献金は、まだ容認されています)。しかし、政治家が個人献金が少ないとボヤいていても、それは政治不信に原因があるわけで・・・悪いのは政治家全員であり、議員が「政治にはカネがかかる」「企業献金がなくなるとカネが集まらない・活動できない」と開き直ってしまうのは、本末転倒のような気がしています。

 ところで、政治家が口にする「政治にはカネがかかる」というのは、どういうことなのでしょうか?

 カネがかかる大きな原因は、挨拶まわりや付き合いにカネがかかるというものです。実際にも、これまで、誰の口からも、「調査・研究費がかかって、いくらカネがあっても足りない」とは耳にしたことがありません。たしかに、選挙を含め、一般の政治活動の多くは、あくまで「お辞儀活動」「あいさつ行為」の繰り返しであり、およそ知的活動とはいえない状況かもしれませんが・・・・

とめどもない交際費

  たとえば、忘年会・新年会シーズンともなれば、議員は、区市議レベルで数十万円単位、都道府県議レベルで数百万円単位で支出(会費・参加費としての支出)をしていると言われています。会合ともなれば、どこからともなく議員が舞い込んでくるというのは、よくあることですが、これが国会議員ともなれば、それだけでも年間一千万、二千万という額の出費になってしまうわけです。でも、国会議員といえども、税引き後の年間歳費は一千万円台のハズ。年末年始だけでも多額のカネが出ていくのですから、企業・団体献金をもらわなければ活動できない・・・ということなのでしょう。

 ちなみに、私は、資産家でもありませんし、今のところ支給されている歳費だけで生活していますので、あちらこちらでお酒を絡めたおつきあいをすることは、ご遠慮させていただいています。国全体が財政難なのですから、質素倹約に努めるべきだと思ってのことなのですが、しかし、現状では、こうした態度が議員として自殺行為だというのも、また事実です(我ながら、次の選挙は戦々恐々です・・・)。

 多くの議員にしても、支出を抑えるには、いわゆる「付き合い」を控えるしかありませんが、しかし、あるとき突然「付き合い」を控えるようになれば、有権者からのブーイングが起こることは必至でしょうし、ましてや対立候補があちらこちらで「飲みニュケーション」に励んでいる以上、そうそうそれは止められるものではありません。サルは木から落ちてもサルですが、議員は落ちてしまえば、失業保険もなく、タダの人になってしまうからです。


結婚式と葬式をかけもつことも

 このように、多くの議員は、その地位を維持するためにカネがかかっているわけです。「当選のために必要だから、やっているのだ」と開き直る政治家も少なくありませんが、この財政難に、交際費を節約していないのは、政治家ぐらいのものでしょう。

 もっとも、可哀相ではあります。国会議員のなかには、祝電や弔電代だけで年間1,000万円以上かかっているという方もいるようです。土日ともなれば、いくつかの結婚式と葬式をかけもつこともあるといわれていますので、国会議員になれば、これも膨大な出費になっていることでしょう。議員が一般人と同じ祝金や香典しか持っていかないと、「稼いでいるのにケチだ」と評判を流されることもあります。悪評に敏感な政治家は、ついつい多少多めに包んでしまいます。一件ずつをみれば、わずかの差かもしれませんが、こなす件数はケタ違いですから、年間総額では莫大な差となってしまうわけです。

 さらに、お金だけが問題というわけではありません。政治家が土日も休みなく地元回りをすれば、当然疲れもたまります。疲れがたまった高齢の代議士が、結婚式場でポケットからハンカチをとろうとしたときに、ハンカチとともにうっかりポケットの中にあった数珠まで床に落としてしまい、失笑を買ってしまった・・・という笑い話もあります(笑)。

 そんなわけで、土日の交際活動に疲れて、つい、平日の議会で居眠りをしてしまう・・・ということになるのでしょう。それにしても、経費もさることながら、わざわざ税金で維持している議員が、こうしたことで消耗しているのは、大きな社会的損失というものです。

地元の世話だけが中心にならないよう、議員の数は減らすべき

 こうして、政治家は、選挙にカネがかかっているのではなく、日常のお付き合いや挨拶活動にカネがかかっているのです。

 たしかに、当選のためには、それもやむを得ない活動だというのも、事実でしょう。出席を求める有権者がいる限り、政治家はそれに応えていかなければ連続当選できないというのも、厳しい現実だからです。しかし、それが地元密着の活動といえば、聞こえは良いですが、それ自体、元をただせば税金で維持されている活動なのです。つまり、結局、ソンをしているのは納税者全員だということをもっともっと真剣に受け止める必要があるはずなのです。

 国会議員の議会への出席率をみて、驚いたことがあります。審議に参加していない議員が大勢いるのです。そして、出席率8割台の若手議員が、出席率No.1だとパンフレットに書いて自慢しているような有様なのです。議員が審議に出席するのは当たり前のハズなのですが、国会では、それすらきちんと果たされていないわけです。

 要するに、国会審議に参加しても票にはならないため、地元での挨拶回りを優先しているということなのです。もちろん、それが政治家の勉強不足と官僚の独裁政治を放置する原因につながっていることは、間違いありません。

 国には、お役人さまが114万人もいるのです。そして、それぞれのお役人さまは、専門の領域をもった「専門家」として、毎日同じ仕事に勤しんでいるのです。それに比べて、国会議員は、その0.0006%の人数しか存在していないうえに、その守備範囲は、役人の比でないくらい広くならざるを得ません。ですから、お役人さまの知識量に負けないよう、日ごろから相当勉強をしていかなくては、多岐にわたる行政のチェックなどできるわけがないのです。選挙のことを考えて地域回りばかりしていては、「お役人天国」は変わるわけがありません。納税者が高いカネを払って政治家を雇っている意味は、何なのか、改めて問わなければならないと思います。

 もっとも、日本の風土からみて、こうした「挨拶文化」をなくすことは無理かもしれません。しかし、議員の数だけ、こうした活動が続くことを思えば、議員の数を減らし、そのあり方も再考していくべき時なのではないかと思います。


政治家の死が意味するもの

  そして、有権者の側も、カネがかかる政治のあり方に注意を払っていくべきである・・・・と指摘しておきたいと思います。議員でなければ地元の世話ができないというものではありません。多くの人が、よく挨拶に来るとか、よさそうな人だからという単純な理由で投票する候補者を選んでいる以上、政治家もそれに合わせて活動せざるを得ないのです。よく挨拶に来る人や、ただ人柄が良いだけの人が立派な政治家になるとは限らないのです。

 かつて、新井将敬という政治家がいました。彼は元朝鮮国籍で苦労しましたが、努力して大蔵官僚となり、のちに地盤のないところから政界に進出しました。その能力からいっても、次代を担う政治家の一人として注目されていましたが、不幸にして、カネをめぐる疑惑で自殺してしまったのは、記憶に新しいところです。しかし、新井将敬氏は、実は一方で、政治家とカネをめぐる問題で一石を投じた改革派で、カネをかけない政治を実際に模索した勇気ある人であったのは、評価しても良い部分だと思うのです(もちろん、これは彼の疑惑を否定するものではありません)。

 彼は、カネをかけない政治をする、ということで、会費を一切払わずに挨拶まわりを始めた初の政治家だといわれています。すでに指摘したとおり、たとえば忘年会や新年会の会費といっても、政治家にとっては、数が多いために、大きな出費となってしまいます。国会議員ともなれば、秘書や家族まで含めると、年末年始に数百カ所の会合で挨拶をするといいますが、そこでの会費を一切払わないこと(もちろん、そこで飲み食いもしないということのようですが)を打ち出した新井将敬氏の態度は、革命的なことでした。

 もちろん、結果は悲惨だったそうです。陰で悪口をいわれるだけでなく、ときには面と向かっても文句を言われて追い出されることも・・・これが原因で辞めた秘書もいれば、新井氏に黙って自腹で会費を支払っていた秘書もいたといわれています。

 だったら、会合に出なければいいじゃないかという人もいますが、地域では、それは通用しなかったようです。幹事はそれで良いといっても、他の人がそれを許さないとか、あとで「入れてやったのにちっとも挨拶に来ない」「もう票を入れてやらない」と陰で言われたり・・・

 こうしたこの国の「政治文化」を改めるには、政治家だけでなく、有権者一人ひとりの自覚も必要とされているのです。新井将敬氏の死は、すっかり風化しつつありますが、たんなる一人の政治家の死として片づけられる問題ではなかったはずなのです。みなさんは、どのようにお考えになるでしょうか・・・

 
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